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「涙」

最近テレビを見ているとオリンピックで活躍した選手などの特集を良く目にします。
その報道の中で共通しているのは、皆、最後に涙を流すシーンがあるということです。 何故かその涙につられて、私はいつも「ジーン」としてしまいます
。 選手達が最後に涙する訳は、勝利をつかむまでの過程で、私達が想像出来ないような試練を乗り越え苦悩してきた末につかんだ勝利だからなのではないかと私は思います。
又見る者がその涙に感動する訳は、選手達がつらい時期を乗り越え、正々堂々と戦って来たゆえに流す涙であるから共感し感動するのでしょう。

薬物をしたり、ズルをしたりして勝ち取った勝利の際に流す涙では、決して我々は共感し感動する事はありません。又正々堂々と生きている人間だからこそ、そのようなシーンに感動出来るのだと思います。
しかし、報道されている人達はほんの一部の人達であり、その影には何万人という、敗れてくやし涙を流している人達がいるのも事実です。
しかし個人の人生を考える上で、それも又一つの過程で、諦めなければ更にその先に何らかの形で栄光をつかむチャンスは訪れるのだと思います。

私事ですが、大学を入る前に開業していた父親をなくし、何不自由なく育てられていた生活から自立を余儀なくされた私は、大学に入る年にある決意をしました。 「大学に入って何か一つに打ち込もうと」 そこで成功を収める事が出来れば、社会に出た後も自分の手で夢をつかみ取る事が出来るはずだと。 私が選んだのは競技スキーという部活動でした。
学生時代はとにかく勝ちたいという一心で、ほとんどの時間を部活動に費やしました。自分で言うのも何ですが、最後の年には十分勝てる実力もあったと思います。 しかし、スポーツというのはメンタルな面も強く、頑張りすぎた分だけ気負いも大きく、本番では空回りの状態でした。
私が、最後に流した涙は栄光を手にした涙ではなく、悔し涙だったのです。その悔しさは今でも夢に出てくる程です。しかし、私はスポーツ選手になる訳ではないので、部活動はあくまで、私の人生の中での過程であり、そこでつちかった根性や挫折が今の私の力になっていると思います。

私が医師という仕事をしていく中で、勝利というゴール地点を定める事は出来ませんが、一つ一つ目標を達成していった中で、いつしか涙を流す事があれば、その涙が周囲の人に感動を与えられるような涙でありたいと思います。
その為には、辛い時期やうまくいかない時期があっても、自身の信念のもと、正々堂々と患者様に尽くしていく医療を貫き通していくことだろうと思います。

そしていつしか私の医療が世間に浸透出来たとき、私は周囲に感動を与える涙を流せるかもしれない。